牧師のコラム「ボクシ・ボイス」

毎週日曜日に教会でお配りしている「週報」に、横田牧師が載せているコラム「ボクシボイス」をご紹介します。

最新の3記事をご覧いただけます。

ボクシ・ボイス

No.154 9月23日
『最重度自閉症のある岡田証太くん(14歳)の洗礼に向けての私たちの備え』(最終回) これまで4回の連載をとおして、証太くんが洗礼を受けるに値することを聖書から考察してきました。救いとは100%神の恵みです。つまり救いとは父なる神による選び、子なる神による贖罪、そして聖霊なる神による再生、栄化によります。また、信仰告白とは「救いの手段」ではなく「救いの証」です。証太くんは障がいのため私たちと同じような信仰告白ができません。しかし、証太くんに変わって聖書のみことばが、証太くん(まだ善悪をわきまえない子どもたち、つまり犯した罪の責任を問うことのできない人々)の救いを証していることを確認しました。証太くんは父なる神に選ばれており、イエス・キリストの贖いの義が注がれており、聖霊の助けに導かれています。証太くんは人間の家族に迎えられているように、神の家族にも迎えられています。 最後に、証太くんへの神のご計画に心を留めたいと思います。主なる神は預言者エレミヤにこう告げました。 「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを 知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めてい た。」(エレミヤ1:5) 神は、岡田聡&直子夫妻に子どもを授けました。預言者エレミヤに計画を備えられた神は、その子に計画を備えられました。そして主に献身する岡田師夫妻は、感謝をもって真摯に祈り、生まれて来る赤ちゃんに『証太』と名付けました。そこには神の霊感があります。つまり『証太』という名前には、神がその子に備えられたご計画が表されています。すなわち、主なる神は、証太くんをとおしてご自身の栄光を現し、福音の素晴らしさを豊かに(太く)証されているのです。この秋、岡田証太くんの洗礼式を行いたいと思います。私たち教会の真ん中で。私たちはともに喜び、祝福し、証太くんをとおして福音を証される主なる神をほめたたえたいと思います。(横田) この連載の参考文献:ロナルド・H・ナッシュ著『幼子の救い』新教出版社
>> 続きを読む

No.153 9月16日
『最重度自閉症のある岡田証太くん(14歳)の洗礼に向けての私たちの備え』(連載4) 前回、救いは100%神の恵みであり、救いを確定するのは私たちの信仰告白ではなく「神の選び」によると述べました。では証太くんは神に選ばれているでしょうか? 神に選ばれている証拠の第一は「信仰告白」です(Ⅰコリント12:3)。あなたが心から「イエスは主」と告白するなら、あなたは神に選ばれています。第二は「主の御心を行う」ことです(マタイ7:21)。あなたが神に選ばれているなら、あなたは当然神の御心を行おうとします。ただ、証太くんはそのどちらも意識的に行えません。しかし注目すべきみことばがあります。申命記1章、神は、約束の地カナンの偵察から戻って不信仰な報告をした斥候たちと、それに同調し不平をぶちまけたイスラエルの民に対して、「約束の地カナン進入不可」の裁きを宣告します。しかし同時にこう告げます。 「今はまだ善悪をわきまえないあなたがたの子どもたちが、そこに入る。わたしが彼らにそこを与えるので、彼らはそこを所有するようになる。」(申命記1:39) 神は、犯した罪の責任を問うことができる世代(犯した罪を自覚できる人)を裁き、(最後の審判でも同じ。黙示録20:11-15、Ⅱコリント5:10、他)、まだ善悪をわきまえない幼児は裁きませんでした。幼児は、良いことと悪いことの区別ができず、あるいはぼんやりとした形でしか理解していません。それは証太くんも同じです。そして神はそのような者を罪に裁かないのです。主イエスも言われます。 「子どもたちを来させなさい。~ 天の御国はこのような者たちのものなのです。」そして手を子どもたちの上に置いてから、そこを去って行かれた」(マタイ19:14,15) ここで主イエスは単に大人への模範を語ったのではなく、純粋に子どもたちの上に手を置かれました。子どもたちが神の国の一員である証として。いま、主イエスは、証太くんの上に「選びの御手」を置いておられます。  
>> 続きを読む

No.153 9月9日
『最重度自閉症のある岡田証太くん(14歳)の洗礼に向けての私たちの備え』(連載3) 前回は、証太くんも罪人であり、イエス・キリストの贖いと聖霊の助けが必要であると述べました。今回は、洗礼を受ける基準としている「信仰告白」について考察します。聖書はこう告げます。 「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ10:9) 証太くんはこのみことばに従うことができるでしょうか? いいえ。2歳の幼児に信仰告白を求めることが不可能であるように、障がいをもつ証太くんにとっても難しいです。確かに聖書は私たちに信仰告白を求めます。しかし一方で、いや、その根底において聖書はこう告げます。 「聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。」(Ⅰコリント12:3) 「あなたがたがわたし(主イエス)を選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。」(ヨハネ15:16) 私たちのの信仰告白は聖霊によるものであり、そもそも私たちの救いとは「神の選び」によると聖書は教えるのです。エペソ1:4では、「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方(主イエス)にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」と深淵なる神の選びを教えます。改めて考えてみてください、救いとは神と人間の協力によるのでしょうか? いいえ。救いは(も)100%神の恵みです。すなわち、私が信じたから神が臨まれたのではなく、神が私に臨んでくださったから私は信じたのです。信仰告白とは、厳密に言うならば「救いの手段」ではなく「救いの証」です。つまり、証太くんの救いにおいて信仰告白ができるか否かが関係するのではなく、重要なのは、証太くんが「神に選ばれているか否か」なのです。次回はそのことを考察していきます。
>> 続きを読む

ボクシ・ボイス

No.154 9月23日
『最重度自閉症のある岡田証太くん(14歳)の洗礼に向けての私たちの備え』(最終回) これまで4回の連載をとおして、証太くんが洗礼を受けるに値することを聖書から考察してきました。救いとは100%神の恵みです。つまり救いとは父なる神による選び、子なる神による贖罪、そして聖霊なる神による再生、栄化によります。また、信仰告白とは「救いの手段」ではなく「救いの証」です。証太くんは障がいのため私たちと同じような信仰告白ができません。しかし、証太くんに変わって聖書のみことばが、証太くん(まだ善悪をわきまえない子どもたち、つまり犯した罪の責任を問うことのできない人々)の救いを証していることを確認しました。証太くんは父なる神に選ばれており、イエス・キリストの贖いの義が注がれており、聖霊の助けに導かれています。証太くんは人間の家族に迎えられているように、神の家族にも迎えられています。 最後に、証太くんへの神のご計画に心を留めたいと思います。主なる神は預言者エレミヤにこう告げました。 「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを 知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めてい た。」(エレミヤ1:5) 神は、岡田聡&直子夫妻に子どもを授けました。預言者エレミヤに計画を備えられた神は、その子に計画を備えられました。そして主に献身する岡田師夫妻は、感謝をもって真摯に祈り、生まれて来る赤ちゃんに『証太』と名付けました。そこには神の霊感があります。つまり『証太』という名前には、神がその子に備えられたご計画が表されています。すなわち、主なる神は、証太くんをとおしてご自身の栄光を現し、福音の素晴らしさを豊かに(太く)証されているのです。この秋、岡田証太くんの洗礼式を行いたいと思います。私たち教会の真ん中で。私たちはともに喜び、祝福し、証太くんをとおして福音を証される主なる神をほめたたえたいと思います。(横田) この連載の参考文献:ロナルド・H・ナッシュ著『幼子の救い』新教出版社
>> 続きを読む

No.153 9月16日
『最重度自閉症のある岡田証太くん(14歳)の洗礼に向けての私たちの備え』(連載4) 前回、救いは100%神の恵みであり、救いを確定するのは私たちの信仰告白ではなく「神の選び」によると述べました。では証太くんは神に選ばれているでしょうか? 神に選ばれている証拠の第一は「信仰告白」です(Ⅰコリント12:3)。あなたが心から「イエスは主」と告白するなら、あなたは神に選ばれています。第二は「主の御心を行う」ことです(マタイ7:21)。あなたが神に選ばれているなら、あなたは当然神の御心を行おうとします。ただ、証太くんはそのどちらも意識的に行えません。しかし注目すべきみことばがあります。申命記1章、神は、約束の地カナンの偵察から戻って不信仰な報告をした斥候たちと、それに同調し不平をぶちまけたイスラエルの民に対して、「約束の地カナン進入不可」の裁きを宣告します。しかし同時にこう告げます。 「今はまだ善悪をわきまえないあなたがたの子どもたちが、そこに入る。わたしが彼らにそこを与えるので、彼らはそこを所有するようになる。」(申命記1:39) 神は、犯した罪の責任を問うことができる世代(犯した罪を自覚できる人)を裁き、(最後の審判でも同じ。黙示録20:11-15、Ⅱコリント5:10、他)、まだ善悪をわきまえない幼児は裁きませんでした。幼児は、良いことと悪いことの区別ができず、あるいはぼんやりとした形でしか理解していません。それは証太くんも同じです。そして神はそのような者を罪に裁かないのです。主イエスも言われます。 「子どもたちを来させなさい。~ 天の御国はこのような者たちのものなのです。」そして手を子どもたちの上に置いてから、そこを去って行かれた」(マタイ19:14,15) ここで主イエスは単に大人への模範を語ったのではなく、純粋に子どもたちの上に手を置かれました。子どもたちが神の国の一員である証として。いま、主イエスは、証太くんの上に「選びの御手」を置いておられます。  
>> 続きを読む

No.153 9月9日
『最重度自閉症のある岡田証太くん(14歳)の洗礼に向けての私たちの備え』(連載3) 前回は、証太くんも罪人であり、イエス・キリストの贖いと聖霊の助けが必要であると述べました。今回は、洗礼を受ける基準としている「信仰告白」について考察します。聖書はこう告げます。 「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ10:9) 証太くんはこのみことばに従うことができるでしょうか? いいえ。2歳の幼児に信仰告白を求めることが不可能であるように、障がいをもつ証太くんにとっても難しいです。確かに聖書は私たちに信仰告白を求めます。しかし一方で、いや、その根底において聖書はこう告げます。 「聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。」(Ⅰコリント12:3) 「あなたがたがわたし(主イエス)を選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。」(ヨハネ15:16) 私たちのの信仰告白は聖霊によるものであり、そもそも私たちの救いとは「神の選び」によると聖書は教えるのです。エペソ1:4では、「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方(主イエス)にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」と深淵なる神の選びを教えます。改めて考えてみてください、救いとは神と人間の協力によるのでしょうか? いいえ。救いは(も)100%神の恵みです。すなわち、私が信じたから神が臨まれたのではなく、神が私に臨んでくださったから私は信じたのです。信仰告白とは、厳密に言うならば「救いの手段」ではなく「救いの証」です。つまり、証太くんの救いにおいて信仰告白ができるか否かが関係するのではなく、重要なのは、証太くんが「神に選ばれているか否か」なのです。次回はそのことを考察していきます。
>> 続きを読む

牧師:横田義弥

過去の「ボクシボイス」もご覧いただけます。以下のリンクより別ウィンドウが開きます。