牧師のコラム「ボクシ・ボイス」

毎週日曜日に教会でお配りしている「週報」に、横田牧師が載せているコラム「ボクシボイス」をご紹介します。

最新の3記事をご覧いただけます。

ボクシ・ボイス

NO.145 7月29日
先週の奥本希さんの証に続き、今回は夫、常在さんの証をシェアいたします。奥本夫妻は北海道の東、摩周湖の麓にある『川湯ビレッジ』というクリスチャン施設運営の後継者となるべく練馬から移住されました。あれから4年が経ち、いま、その計画が進み始めています。以下の証は、夫妻が集う標茶教会の会報に掲載された常在さんの証を編集させていただいたものです。 ~ 今年の5月で私たち夫婦が東京から弟子屈にやって来て丸4年となりますが、「その間あなたは何を成し遂げたか?」と尋ねられると、残念ながら何も出来ていないと答えるしかありません。しかし確実に言えるのは、この4年を通して神様が私たちに触れ続けてくださったということです。それは私たちに必要な訓練の時でした。訓練は時に想像を絶し、特に妻は心に大きな傷みを抱え、1年以上、神の愛の光も届かない暗闇の中を彷徨うことになりました。それはひとえに私たちがそれほど何も分かっていなかったということでした。神様が私たちにまず望まれたのは、徹底的にへりくだることであり、いかに傲慢であったかを思い知らされました。そして何をすればよいのかわからず行く場所もない私たちに、神様は2つのことを語り続けてくださいました。《何があろうと、わたしがあなたを愛していることを忘れてはならない。》《人を恐れるな。わたしを畏れ、わたしに従いなさい。》 いま、ようやく前に進んでいるのがわかりはじめています。もちろんまだまだ弱さを覚えますが、だからこそ日々神を求め、都度神に立ち返りながら歩んでいく恵みを受けています。そしてそんな私たちを神様は喜んでおられ、支え、その働きのために用いようとされています。神ご自身が、欠けのある土の器に過ぎない私たちの力となり知恵となって御業をなしてくださる、このことを望みとし、また喜びとし、これからも皆さんと共に歩んで行ければと願っています。
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No.144 7月22日
一足早く夏休みをいただきました。ここ数年の我が家の夏休みの定番は北海道の東、弟子屈町の摩周湖の麓に住む奥本常在&希夫妻を訪れることです。奥本夫妻は4年前に練馬から移住された私たちの教会メンバーであり、今回も楽しいひと時をともに過ごしました。その中で希さんから伺った証を皆さんにシェアしたいと思います(本人了承のもと)。 奥本夫妻が集っている教会は、女性は被り物(三角巾)をして礼拝をささげる伝統があります。希さんは違和感を覚え被り物はしないで礼拝に参加していました。しかし次第に「私はどうしてそんなに被り物にこだわるのだろう?」と葛藤するようになり、常在さんの励ましのもと、希さんは被り物について真剣に祈り始めました。祈りの中で、先ず、被り物への拒否反応の原因となる過去の苦い体験が示され、そのことを主に注ぎ出し、癒しを受け取りました。また聖書で、パウロが伝道旅行に行く際、ユダヤ人をつまずかせないためにと弟子のテモテに割礼を授ける箇所が心に留まり(使徒16:3) 「キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。」(ガラテヤ5:6) のみことばが語られました。しかし希さんにはもう一つの障害が残っていました。それは被り物が「三角巾」であることです。美的にどうしても抵抗がありました。そんな折、希さんは教会のある姉妹との間でトラブルが生じました。その後その姉妹と和解へ導かれたのですが、その時の姉妹の幼子のような純粋な信仰に心打たれ、神の愛、真の自由が注がれました。さらに姉妹から一つのプレゼントを手渡されました。それはその姉妹が礼拝で被り物として使用しているおそろいの手編みのニット帽でした。驚くべきことに、それは希さんが唯一、これなら!と思っていた綺麗な被り物だったのです。今、希さんは喜んで被り物をして毎週礼拝に参加しておられます。ハレルヤ。
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No.143 7月15日
「神がなさることと、私たちがすることを、混同してはいけない。」 この言葉は7/1(日)の宣教セミナーにおいて、講師の神田英輔先生(『声なき者の友の輪』(FVI)代表)がおっしゃった言葉です。クリスチャンの幸いとは、まさに、ここにあります。そしてクリスチャンの成長とはこのことです。これが、パウロの言うところの「ありとあらゆる境遇に対処する秘訣」(ピリピ4:12)でありましょう。最近私はこの幸いを味わいながら(いや、この幸いに戻されながら)歩んでいます。以前の私は焦っていました。主任牧師としてのプレッシャーを変に負いながら。しかし様々な試行錯誤を経て、私は、神がなさることと、私がすることを混同しないよう変えられてきました。主イエスが言われる「わたしのくびきを負って、」とか、「自分の十字架を負って、」とは、このことだと実感しています。 「あなたが土地に蒔くあなたの種に主は雨を降らせてくださる。それで、その土地の産する食物はみずみずしく豊かである。その日、あなたの家畜の群れは広々とした牧場で草をはむ。」(イザヤ30:23) 私たちのすることは、土地に種を蒔くことです。神のなさることは、そのあなたの種に雨を降らすことです。私たちはそれぞれに、蒔く「種」と蒔く「土地」が備えられています。その種蒔きに集中していきたいと思います。雨を降らせてくださる神の最良のタイミング、「神の時」を待ち望みながら。みずみずしい収穫を祈りながら。さて、神田英輔先生による宣教セミナー、内容もさることながら先生の柔和なお姿も心に残りました。それはまさに、神がなさることと、私がすることを、混同しないところから醸し出される柔和なのでしょう。
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ボクシ・ボイス

NO.145 7月29日
先週の奥本希さんの証に続き、今回は夫、常在さんの証をシェアいたします。奥本夫妻は北海道の東、摩周湖の麓にある『川湯ビレッジ』というクリスチャン施設運営の後継者となるべく練馬から移住されました。あれから4年が経ち、いま、その計画が進み始めています。以下の証は、夫妻が集う標茶教会の会報に掲載された常在さんの証を編集させていただいたものです。 ~ 今年の5月で私たち夫婦が東京から弟子屈にやって来て丸4年となりますが、「その間あなたは何を成し遂げたか?」と尋ねられると、残念ながら何も出来ていないと答えるしかありません。しかし確実に言えるのは、この4年を通して神様が私たちに触れ続けてくださったということです。それは私たちに必要な訓練の時でした。訓練は時に想像を絶し、特に妻は心に大きな傷みを抱え、1年以上、神の愛の光も届かない暗闇の中を彷徨うことになりました。それはひとえに私たちがそれほど何も分かっていなかったということでした。神様が私たちにまず望まれたのは、徹底的にへりくだることであり、いかに傲慢であったかを思い知らされました。そして何をすればよいのかわからず行く場所もない私たちに、神様は2つのことを語り続けてくださいました。《何があろうと、わたしがあなたを愛していることを忘れてはならない。》《人を恐れるな。わたしを畏れ、わたしに従いなさい。》 いま、ようやく前に進んでいるのがわかりはじめています。もちろんまだまだ弱さを覚えますが、だからこそ日々神を求め、都度神に立ち返りながら歩んでいく恵みを受けています。そしてそんな私たちを神様は喜んでおられ、支え、その働きのために用いようとされています。神ご自身が、欠けのある土の器に過ぎない私たちの力となり知恵となって御業をなしてくださる、このことを望みとし、また喜びとし、これからも皆さんと共に歩んで行ければと願っています。
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No.144 7月22日
一足早く夏休みをいただきました。ここ数年の我が家の夏休みの定番は北海道の東、弟子屈町の摩周湖の麓に住む奥本常在&希夫妻を訪れることです。奥本夫妻は4年前に練馬から移住された私たちの教会メンバーであり、今回も楽しいひと時をともに過ごしました。その中で希さんから伺った証を皆さんにシェアしたいと思います(本人了承のもと)。 奥本夫妻が集っている教会は、女性は被り物(三角巾)をして礼拝をささげる伝統があります。希さんは違和感を覚え被り物はしないで礼拝に参加していました。しかし次第に「私はどうしてそんなに被り物にこだわるのだろう?」と葛藤するようになり、常在さんの励ましのもと、希さんは被り物について真剣に祈り始めました。祈りの中で、先ず、被り物への拒否反応の原因となる過去の苦い体験が示され、そのことを主に注ぎ出し、癒しを受け取りました。また聖書で、パウロが伝道旅行に行く際、ユダヤ人をつまずかせないためにと弟子のテモテに割礼を授ける箇所が心に留まり(使徒16:3) 「キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。」(ガラテヤ5:6) のみことばが語られました。しかし希さんにはもう一つの障害が残っていました。それは被り物が「三角巾」であることです。美的にどうしても抵抗がありました。そんな折、希さんは教会のある姉妹との間でトラブルが生じました。その後その姉妹と和解へ導かれたのですが、その時の姉妹の幼子のような純粋な信仰に心打たれ、神の愛、真の自由が注がれました。さらに姉妹から一つのプレゼントを手渡されました。それはその姉妹が礼拝で被り物として使用しているおそろいの手編みのニット帽でした。驚くべきことに、それは希さんが唯一、これなら!と思っていた綺麗な被り物だったのです。今、希さんは喜んで被り物をして毎週礼拝に参加しておられます。ハレルヤ。
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No.143 7月15日
「神がなさることと、私たちがすることを、混同してはいけない。」 この言葉は7/1(日)の宣教セミナーにおいて、講師の神田英輔先生(『声なき者の友の輪』(FVI)代表)がおっしゃった言葉です。クリスチャンの幸いとは、まさに、ここにあります。そしてクリスチャンの成長とはこのことです。これが、パウロの言うところの「ありとあらゆる境遇に対処する秘訣」(ピリピ4:12)でありましょう。最近私はこの幸いを味わいながら(いや、この幸いに戻されながら)歩んでいます。以前の私は焦っていました。主任牧師としてのプレッシャーを変に負いながら。しかし様々な試行錯誤を経て、私は、神がなさることと、私がすることを混同しないよう変えられてきました。主イエスが言われる「わたしのくびきを負って、」とか、「自分の十字架を負って、」とは、このことだと実感しています。 「あなたが土地に蒔くあなたの種に主は雨を降らせてくださる。それで、その土地の産する食物はみずみずしく豊かである。その日、あなたの家畜の群れは広々とした牧場で草をはむ。」(イザヤ30:23) 私たちのすることは、土地に種を蒔くことです。神のなさることは、そのあなたの種に雨を降らすことです。私たちはそれぞれに、蒔く「種」と蒔く「土地」が備えられています。その種蒔きに集中していきたいと思います。雨を降らせてくださる神の最良のタイミング、「神の時」を待ち望みながら。みずみずしい収穫を祈りながら。さて、神田英輔先生による宣教セミナー、内容もさることながら先生の柔和なお姿も心に残りました。それはまさに、神がなさることと、私がすることを、混同しないところから醸し出される柔和なのでしょう。
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牧師:横田義弥

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