教会紹介 ~キリスト教会が初めての方へ~

多くの日本人にとって、キリスト教会はなじみのない場所かもしれません。町で見かけたとしても、足を踏み入れることはちょっと抵抗がある...そう感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか。このページでは、そんな皆さんに向けて、まず教会とはどんなところなのか、そして私たち練馬教会の特徴や牧師についてご紹介します。

キリスト教って何?

教会はどんなところ?

キリスト教のシンボルといったら「十字架」です。

十字架とはイエス・キリストが磔にされた死刑の道具なのですが、象徴的に見るならば、十字架の縦の線は「神との関係」を、横の線は「人との関係」を表しています。

 

中島みゆきさんのあの名曲『糸』に、「♪縦の糸はあなた、横の糸は私、織りなす布は、いつか誰かを温めうるかもしれない~♪」とありますが、教会とは、まさに縦と横がクロスするコミュニティーです。そして、そこで織りなされていく布によって、いつか誰かを温めうるかもしれない・・・、教会とはそのようなところです。



練馬グレースチャペルの特徴

練馬グレースチャペルは、1955年(昭和30年)に創立した、60年以上の、それなりに歴史のある教会です。しかし、だからといって格式のある教会かというと、そうでもありません。練馬グレースチャペルの特徴を、ある方はこう言っていました。

  • 自分を取り繕う必要がない雰囲気がある。
  • あらゆる世代、背景を持つ人が和気あいあいと集まっている。
  • 悩みを抱えた人と悩みを聞いてあげられる人が共存している。
  • どんな悩みを打ち明けても受け入れてくれる。
  • 「江古田という地域」を大切にしている教会。

 

練馬グレースチャペルは、以下の「三つの関係」を大切にしています。

第一は、「個人的な神との関係」です。

私たちは、祈りをとおして神に語り、聖書をとおして神の語りかけを聴きます。神と対話しながら日々を歩めたなら、なんと素晴らしいことでしょう。

 

第二は、「皆で神を礼拝する関係」です。

毎週日曜日には皆が一堂に会して礼拝をささげます。教会のことを「神の家族」とも言いますが、子どもからお年寄りまで全世代が集うコミュニティーは、教会の大きな魅力です。

 

そして第三は、「小グループの関係」です。

本音トークは大人数ではできません。小グループで聖書を読み、悩みを打ち明け、互いに祈り合い、共に喜び楽しみ、一人ひとりが神の計画に歩めるよう協力していきます。

 

練馬グレースチャペルのモットーは「砂漠に川を、オアシスを」です。

一人ひとりが潤され、そこからいのちの泉が湧きあがり、川のように流れ、日常の様々な砂漠がオアシスになっていく、そのようなことが起こっていくことを祈り求めて、その一翼を担っていけたらと願う教会です。



牧師のごあいさつ

横田義弥(主任牧師)

ボクシボイスとは、教会で毎週日曜日にお配りする「週報」に載せている牧師のこころうちです。

練馬グレースチャペルのサイトをご覧くださりありがとうございます。
サイトをとおして、教会の様子がお分かりいただけたなら幸いです。
もし、何かご質問ありました、ご遠慮なくお問い合わせください。
当教会には、私の他に数名の牧師がいます。先代の主任牧師である小笠原孝牧師、ビジネスマンであり牧師である岡田聡牧師、NGOスタッフであり牧師である陣内俊牧師、6年間海外で宣教師をされてきた江渕篤史&深雪宣教師夫妻、子どもたちへの働きのリーダー都丸道宣牧師(インターン)、そして、私の妻で音楽をリードする知子牧師です。また、教会には、尊敬する、個性溢れる素晴らしい信者の方々が沢山おられます。
私たちは、皆さまを、心より歓迎いたします。

さて、皆さまの中に、牧師とはどんな人?と興味を持たれる方がおられるかと思います。 そこで、代表して、私の自己紹介をさせていただきます。

人はそれぞれ「どん底」を経験します。
私はどん底だった19歳のとき、「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」とのキリストのことばに救われました。そして教会に行きました。
やがて立ち直ったとき、私はしみじみ実感しました。「僕が立ち直ったのは、イエス・キリストというお方と、聖書のことばと、教会という共同体のおかげだな~」。そして思いました。「イエス・キリストと、聖書のことばと、教会共同体に人々を導く牧師という仕事は、人生を賭けるに値するな」。
それから私は牧師への道を歩み出し、今に至っています。家族は、妻と息子の三人家族。趣味は、焚火に登山、息子と妻と遊ぶことです。牧師をしてきて我ながら成長してきたと思うことは、人とより良い関係が持てるようになってきたことです。そしてそれは、神との関係の深まりに比例しているとも実感します。私がどん底で教会に訪れたとき、その教会の牧師は私を温かく迎え入れてくれました。私もそのような牧師でありたいと願っています。